1960年代?に、逃亡者なるテレビドラマがあり
刑事の追跡を最後の土壇場で振り切って、逃亡に成功する
ストーリーが毎回、最後のクライマックスでした。
この逃亡シーンにおいて、よくヒッチハイクが
描かれていました。。
鹿児島で過ごした高校時代に無線通信士、無線技術士の
試験が熊本で行われおり、鹿児島と熊本間を
年に数回以上往復していました。
いつの日からか、汽車(有料)に乗らずに
ヒッチハイク(無料)でトラック等に乗せてもらい
往復するようになりました。
私が始めたヒッチハイクは、親からもらった交通費が
小遣いに化けるメリットがあり、瞬く間に学校で
多くの友人に流行ってしまいました。
たまりかねた学校側は、ヒッチハイクの禁止令を
張り出しました。
高校1年の夏休みに、若い高校の先生(助手)と二人で
九州一周のコース熊本、福岡、大分、宮崎、鹿児島の順に
約1週間程かけて、ヒッチハイクをしました。
更に短期大学に進学し神奈川県川崎市にいた
大学1年の夏休みに川崎を出発し、北海道まで往復する
ヒッチハイクをしました。
このヒッチハイクで、多くの親切な方に出会い、
車の同乗だけでなく、自宅へ招待して食事、
お風呂のおもてなし等、とても親切にして頂きました。
大変お世話になり
ありがとうございました。
*高校は、当時(昭和43年)鹿児島県谷山市にあった
鹿児島電子工業高校で、現在の鹿児島情報高校です。
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