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前川 義一 プロフィール

 2012年1月

第60回 勝田マラソン 42.195キロ完走・5時間19分

 2012年1月

正月のマラソン練習
自宅(牛久市・標高約17m)〜筑波山神社(標高約300m)の往復
約70キロ完走・9時間48分

 2011年11月

鹿児島県 桜島一周 マラソン練習 約37キロ完走・4時間50分

 2011年4月

知多半島一周ウルトラ遠足 100キロ完走・15時間50分

 2011年1月

第59回 勝田マラソン 42.195キロ完走・5時間18分

 2011年1月

正月のマラソン練習
自宅(牛久市・標高約17m)〜筑波山神社(標高約300m)の往復
約70キロ完走・10時間40分

 2010年11月

創業体験セミナー・古河市商工会

 2010年10月

えちご・くびき野 ウルトラマラソン 50キロ完走・7時間07分

 2010年9月

龍ヶ崎市立 長山中学校 その道のプロに話を聴く 講師

 2010年7月

磐梯・猪苗代ウルトラマラソン
65キロ完走・10時間35分

 2010年7月

創業体験セミナー・古河市商工会

 2010年5月

茨城県立 牛久高等学校 学校評議員

 2010年2月

富山県南砺市商工会青年部福光支部 主催の講演会
テーマ:ホームページ集客術・若手経営者の資質向上の講師。

 2010年1月

マラソン練習・正月
自宅(牛久市)〜筑波山神社の往復・約70キロを完走・12時間

 2009年11月

つくばマラソン
42.195キロ完走・5時間29分

 2009年10月

卒業した奄美市立金久中学校の還暦同窓会にて
母校をスタート、会場のリゾートホテル・コーラルパームスまで
約35キロを完走・奄美大島にて

 2008年12月

SMAPの稲垣吾郎さんが手紙を朗読する
フジテレビの番組 忘文(わすれぶみ) に出演

 2008年10月

えちご・くびき野 ウルトラマラソン
50キロ完走・6時間37分

 2008年7月

ホームページによる集客術セミナー・牛久市商工会

 2008年7月

磐梯・猪苗代ウルトラマラソン
62キロ完走・9時間57分

 2008年4月

アントレフェア・トークセッションへ出演・東京ビッグサイト

 2007年7月

ホームページによる集客術セミナー・坂東市商工会

 2007年7月

経営者の為の健康セミナー・牛久市倫理法人会

 2007年7月

ウルトラマラソン初完走
磐梯・猪苗代ウルトラマラソン 60キロ・9時間16分

 2004年8月

牛久市健康づくり推進協議会委員

 2003年8月

パソコン修理 pcQ援隊 業務開始

 2003年7月

RURI株式会社設立

 2003年6月

ソニー株式会社 早期退社(30年間勤務)

 1976年12月

マイホーム取得
(茨城県牛久市へ引越し)

 1973年5月

ソニー株式会社 入社
(オイルショック、為替変動相場制の年です。)

 1973年3月

千代田テレビ技術学校 退任

 1970年5月

千代田テレビ技術学校 講師

 1970年3月

法政大学短期大学部(夜間)電子工学科 卒業
(万博開催、日航よど号事件))

 1965年3月

高校進学・鹿児島電子工業高校
(奄美から鹿児島県谷山市へ)

 1949年7月

鹿児島県奄美大島に生まれる。
(湯川秀樹、ノーベル賞受賞の年)

前川義一

7)ウルトラマラソン60キロ完走

マラソン

生まれつき・スポーツは、水泳を除いて苦手で
徒競走はいつもビリでスポーツが嫌いな少年でした。

そんなスポーツ苦手人間が
突然、57歳のとき、ウルトラマラソンにチャレンジします。

きっかけは、下腹ダイエットで始めた有酸素運度運のジョギングです。
体重が落ちる・体脂肪が低下する楽しみを
味わっているうちに、「マラソン完走できそう!」と
どうせやるなら「ウルトラマラソン完走」と
私の脳ミソのスイッチが入ったのです。

ウルトラマラソンにチャレンジするには、
普通は、次のようなステップがあり
1、10キロマラソン 完走
2、ハーフマラソン・20キロ 完走
3、フルマラソン・42.195キロ 完走
4、ウルトラマラソン(42.195キロより長い距離)へチャレンジと
実績を積み重ねていきます。

私の場合、非常識で無茶なチャレンジで、
中学・高校の体育のマラソンを除くと、一切のマラソン完走経験なし
しかも、たった3ヶ月の短い練習期間なのに、
新潟県上越市で2006年10月14日に開催された
えちご・くびき野 ウルトラマラソン 50キロの部へ参加。

残念ながら結果は、途中リタイアです。
しかし、約38キロ地点まで、6時間も走れたのです。

途中リタイアから9ヶ月後の2007年7月
磐梯・猪苗代ウルトラマラソン 60キロに挑戦し
練習開始からわずか1年の短い期間で
2回目にして、最初のウルトラマラソン完走です。

2008年10月・えちご・くびき野 100kmマラソン 50キロの部へ再挑戦し
6時間37分で完走することができました。

ウルトラマラソンは、肉体を支配するのが脳で無く、
筋肉であることを実感・体験できるスポーツです。

いくら練習をしても、当日の天気、自分の体のコンディションなど
複雑に要素が変化・影響し合い予想通りに行かないプロセスにおける
問題解決能力が会社経営の参考になります。

6)起業に向けて

30年間のサラリーマン生活において、
いつかサラリーマンをやめて独立したいと、
想っていました。

起業に向けた最初の行動は
東京都商工会連合会が平成11年(1999年)8月に国分寺で開催した
「創業支援セミナー」への参加です。
これが、2003年のソニー退職、会社設立へとつながります。

現在では、自分自身が創業体験セミナーその他のセミナーを
開催していますが、今となっては懐かしい思い出です。

私が在籍した時代のソニーは、
起業に関する環境が非常に良くて
商品企画、設計製造、原価管理、お客様対応と
起業に必要な多くの内容を
サラリーマン生活で学ぶことが出来ました。

唯一経験していないのが営業です。
そのせいで、起業後に一番苦労し勉強しているのが、
マーケティング&広告、営業、接客です。

キャッシュフロー経営に重点をおき
自分自身でキャッシュフローを管理しています。
これはソニー時代に学んだことが大いに役立っています。
もちろん経理の専門家ではありませんので
仕分け、記帳、税務はプロの方にお願いしています。

5)転機となる決断

最初の決断 :高校進学
貧乏であったにもかかわらず、
地元・奄美大島の高校でなく、
400キロも離れた鹿児島の高校へ進学しました。

この決断の実現へ向けて、両親、特に母親を説得し、
最終的に両親の同意を得ることができました。
当時の両親にとって、家庭の経済状況を考慮すると厳しい選択でした。

中学卒業と同時に自宅を離れ、
今までと、まるで異なる環境に身を置いたことで
気付いた時は、過去を断ち、生き方をリセットしていました。

更に、無理してレベルの高い高校に進学するより
レベルの低い高校であっても、トップグループに属することで
自分が大きく成長できる体験をしました。
この満足できる高校生活は、小さな成功体験の第1歩となりました。

2回目の決断 :ソニー入社
当時、専門学校の講師をしており、
卒業生の十数名がソニーへ入社するのをサポート
続いて自分自身が数ヶ月遅れでソニーへ入りました。

ソニー入社の前、中途採用の試験を5社程受けました。
試験の結果は、5社全て合格できました。
一番気に入った、ソニーへ入社することを決めました。
このことが私の人生のほとんどを決定してしまったと言っても
過言ではありません。

私の性格の1個は、自分本来の生まれつきのものです。
もう1個は、サラリーマンとしてソニーで鍛えられた性格で
時には、自身で相反する2個の性格があります。

3回目の決断 :起業
もちろん2003年6月のソニー退社と7月からの起業です。
今年(2011年)は、まる8年が経過して9年目に入ります。
創業10周年もあとわずかまでたどり着いています。

最初の頃の売り上げの少ない非常に苦しい時期を除くと
年を重ねる毎に、楽しさが増して行く起業後の人生です。

4)髭のサラリーマン

起業後に出会う多くの方から
「退職して髭をはやしたの?」と良く聞かれます。
ソニー時代
 東京クリエイション大賞授賞式・1991年
 左〜 私、大賀社長、同僚、同僚

私が髭をはやした時期は、ソニーへ入社まもない新入社員時代です。
最初、上司から何度となく髭を剃るよう進められました。
そこで私は、上司に髭を剃れと言われないようにするには、
どうすれば良いかを考えたのです。

考え抜いた結論は、
「他の人よりいつも10%程、余分に仕事しよう!」と決心し
具体的な行動は、他人より1〜2時間程早く出社し、
仕事の開始時間を他人より早くすることを
退職までの25年間続けました。

その結果、髭を剃るまいとの考えが
仕事を楽しく前向きにやる原動力に変化しました。
そのかいあって25年間、一度も剃ることなく、
髭のサラリーマン生活を過ごせたのです。

しかし、本当に一番偉いのは、
髭のサラリーマンを許してくれた
ソニー(盛田さん、井深さん)の社風とカルチャーです。
いまでも感謝!! 感謝!! です。

自分のような性格の人間が
もしソニー以外の他の会社に入社していたら
考えただけで人生、真っ暗です。

取引先など民間会社においては、余り問題ないとしても
一番大変なのは、官庁への訪問や官庁業界団体の会議出席で
まわりの関係者は、私の容姿「髭のサラリーマン」に
いつもビックリしてしまいました。

3)ヒッチハイクと高校生活

1960年代?に逃亡者なるテレビドラマがあり
刑事の追跡を最後の土壇場で振り切って
逃亡に成功するストーリーの繰り返しでした。
この逃亡シーンの最後に
よくヒッチハイクのシーンがありました。

高校時代を鹿児島で過ごしましたが、
無線通信士、無線技術士の試験が熊本であり、
鹿児島と熊本間を年に数回以上往復していました。

いつの日からか汽車(有料)に乗らず
ヒッチハイク(無料)で往復するようになりました。

私が始めた鹿児島と熊本のヒッチハイクは、
親からもらう交通費が小遣いに化けるメリットがあり
瞬く間に高校の仲間の間で流行ってしまいました。
たまりかねて、学校からヒッチハイクの禁止令を
張り出されてしまいました。

高校1年の夏休みに、高校の助手の先生と二人で
熊本、福岡、大分、宮崎、鹿児島のコースを
約1週間程かけてヒッチハイクをしたことも思い出です。

更に短期大学に進学して神奈川県川崎にいたときも
大学1年の夏休みに川崎を出発して
北海道まで往復するヒッチハイクをしました。

このヒッチハイクで多くのすごく親切な方に出会い、
車の同乗だけでなく、自宅へ招待して食事、
お風呂のおもてなしを受けたことも何度かありました。
大変お世話になりありがとうございました。

*ヒッチハイク:手を上げて、通行中の車に無料で乗せてもらう。
*高校は、当時(昭和43年)鹿児島県谷山市(当時)にあった
 鹿児島電子工業高校(現在の鹿児島情報高校の前身)です。

2)感情・感性の芽生え ファッション・音楽

2006年1月にNHKで放送された「エルビスプレスリー特集」を見て
よみがえった記憶を書きます。

「ツイスト」が流行っていた中学生の頃
この「ツイストを見るだけでは飽き足らず
遂に自分自身、友達の家などでレコードをかけて
友達と一緒に踊り、快感を味わってしまいました。

更に、よせばいいのに今で言う「洋服のリフォーム屋」さんに
頼んで、学生服のズボンをラッパ・ズボンに
リフォームしました。

いまにして思うと「エルビスプレスリー」の影響による
ラッパ・ズボンだったのですね!

他に、ギターで「禁じられた遊び」その他を何回も練習したが
素質がないので、弾けるようになれませんでした。

最初に買ったレコードが橋幸夫の「恋をするなら」で
母親は、息子が急に不良少年になったと感じて
ショックを受けていました。

1)ラジオ少年

小学校の6年から中学にかけて、理科や科学が大好きで、
いつのまにかラジオを自作することに目覚め
ラジオ制作の部品を奄美大島から東京の秋葉原へ
よく注文していました。

現在のような宅配便も無い時代
注文した部品は、1ヶ月以上かかって届くのですが、
それが待ちどうしくて、
郵便が配達される時間帯に
何回も確認した記憶があります。

一月遅れで届く「初歩のラジオ」を読んでは
ラジオ製作のアイデアを絞る少年時代でした。

ラジオ製作の延長で、ソニー入社後
アマチュア無線に熱中したこともありました。

一戸建てのマイホームを手に入れると、
少年時代の夢だった、アマチュア無線用の鉄塔を建て、
下手な英語で海外との交信に夢中になった時もありました。


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